12/21

バイトの後、僕にとっての父性的な方に久しぶりに会いに行った。内心、準備不足でこわかったのだけど、いざ行ってみると普段人に話せないでいたことを話したりすることができた。美味しいお弁当もご馳走になった。自信のなかったギターのビブラートも綺麗になっていると言われた。僕は本の話を持ち出したものの、自分の話すことに中身が無さ過ぎてげんなりした。世界の民族音楽のほとんどが何故か5音階で成り立っていること、12という数字の不思議、フリーメイソンユング心理学量子力学引き寄せの法則、みたいなロマン溢れる話が次から次にできて楽しかった。「人との出会いは全て必然だと思っている」という言葉にずっしりとした重みを感じた。

 

自分にはどうしようもない行動不能の沼に落ち込んだときには、できないことをやろうとはせずに、それでもその中でできることだけをやればいい。

 

解決しなければいけないことがある。できれば年末になる前に。

12/20

いつの間にか眠っていて、たくさんの夢を見た。そのどれもが陰鬱で、うらぶれていたような気がする。目が覚めたのは9時半頃。ぐだぐだ支度をすると好きなことややるべきことをする時間は無く、家を出た。

高速バスの中で、浅くて怠いうたた寝をしてずっと気分が悪かった。本を少ししか読み進めることができなかった。

スーパーでご飯を買って学校で食べた。今日はスタジオの前の通路がやけに賑やかでいつもより独りだった。テスト勉強をする気が起きず、物語が佳境に入った村上春樹1Q84を最後まで読み終えた。あと30分。ここまで追い詰められてやっとテスト勉強を始めた。

音楽を共有したくなったけれど、あの中に入ったらきっと僕は余計独りになるし、何も成長できない。隣の芝生が青く見えているだけだ。僕は僕のやり方で成功する。しかし本当に社交性がないな。彼女の前でふざけることができたときのように、心を開いて安心しきっていれば同じように冗談を言ったりおどけたりできるんだろうか。いや、それだけじゃダメだ。あの頃、あんなにおどけることができたのは二人っきりだったときだけだ。二人っきりの時に心を開くことには社交性は多分いらないのだと思う。

テストは惨憺たる結果に終わった。逃げるように寒い夜の底へ身を投げ出したら、寂しくて仕方なかった。

男性の誕生という本を読み始めた。僕の求めていたものがそこには展開されていた。女性的な面を抑圧することの弊害を僕も被っているのだと知った。

12/19

バイトに行きたくないという思いが頭を支配していた。時間が近づくにつれ確かに心拍も落ち着かないものになっていった。自分で頑張ったなんて普段言わないけれど、一昨日と昨日は凄く頑張ったと思う。それを理由にするのは違うけれど、とにかくもう休みたかった。休んでしまおうと決めて電話を入れた。電話の向こうの唸り声も、もうどうでもよかった。

バイトを休んだことで空いた時間にやることをやろうと思ったけれど、結局15時から18時30分くらいまで眠り込んだ。いつもなら自己嫌悪に陥るはずが、今日のうたた寝は全面的に受け入れていた。不思議だ。

19時にファミレスで同級生の父親と待ち合わせた。20時過ぎまで話をして帰った。帰りに約束の楽器をもらった。いざチューニングをしようにもペグが全く動かない。唯一動いたペグを回すと、それまで固定されていた惰力がするすると働いて弦が緩んでしまった。面倒くさいものを背負いこんでしまったと思った。

12/18

無視されたりきつく当たられたりすると胸がじんわりと締め付けられた。ヒステリックな喋り方をする女性のお客さんと相対しているときにも胸が苦しくなった。やっぱりああいう人は苦手なのだと思った。

忙しくなるにつれ、昨日と同じように僕だけ暗く冷たい場所に沈んでいった。「もうダメかもしれないです(笑)」という声が無意識に絞り出すように出てきた。それを聞くと店長は黙り込んだ。僕は繰り返した。「もうダメかもしれないです(笑)」。すると何かが事切れたように身体が痺れ始めた。水圧が徐々に身体を末端から蝕んでいるのだ。ヘルプで来ていた他店の店長に身体が痺れてきたことを伝え、白いビニール袋を口に当てた。なけなしの救命ポンプだ。キッチンの隅で蹲ってぼんやりと沈潜してゆく意識の中、自分に向けてしきりに「大丈夫」と声を掛けた。末端の痺れが治まり、もう大丈夫だろうかと立ち上がった。けれど世界は依然あまりに不安定で、僕はまた寒い場所で指先の皮膚感覚をチリチリと摩耗させていた。

店長が他店の店長に怒られていた。僕が死にそうなのに料理を運ばないことを理由に。何度も治まりかけては立とうとして駄目にした。自分のことだけを考えようと何度も言い聞かせて定めようとしては、ホールにいる人間の声や忙しなく働く店長達のことに意識が持って行かれた。やがて僕は新たな生存戦略を取ることにした。お父さんが僕の背中をさすりながら「大丈夫だよ」と言った。いつも一緒にいながらも密かに憧れていたあの子が頭を撫でてくれた。親よりも親らしく関わってくれている人が「落ち着けよ。大丈夫だよ。」と背中をさすった。あるひとは過ぎ去り、あるひとは今なお僕の元に留まっている。一貫しているのは、僕にとって大切な人たちだということだ。そんな人達に囲まれているうちに、温もりが胸に留まっていくのを感じた。それでもまだ、立ち上がろうとすると苦しくなった。慌てて親よりも親らしい人や毎日一緒にいたあの子を思い出そうとした。でも彼らは薄膜を隔てた先で霞む蜃気楼で、すぐに不安に掻き消されてしまった。それでもなんとか、この不安や苦しさこそ蜃気楼であり、深呼吸で触れたら掻き消えてゆくものだと信じていると、また彼らを思い描くことができた。もう二度と会えないお父さんや、僕の元から去っていた彼女にばかり頼るのは良くない気がして、親よりも親らしい威厳と優しさを湛えた人や、いつも一緒にいたあの子、直接関わることは無くとも僕を成長させてくれたあの人のこと考えようと思った。

忙しない気配に囲まれたキッチンの隅にいてはいつまでも水底から這い上がれそうになかった。店長に言って休憩室に行き、コートを羽織って更衣室の床に身体を投げた。苦しくなってからずっと、横になって胎児のように丸くなりたいと思っていた。これまでもそうすることで一番落ち着くことができたからだ。やがて大切な誰かのことを思い描くことすらしなくなっている間に、さっきまであんなに昂ぶっていた心拍もだいぶ落ち着いたものになっていた。

立ち上がってもすっかり平気になってから仕事に戻った。たくさん好きな人達に大丈夫だと言ってもらったからか、愛されて育ってきた人のようにその後の精神は安定していた。

12/17

前日の夜からの頭痛は朝も止まなかった 。それは慢性的な痛みではなく、だしぬけに針で刺されるような断片的な鈍痛だった。その痛みには何か規則的なシラブルがあるのではないかと思い、頭の中で痛みから痛みまでの時間を数えようとしたけれど、どう考えてもその針は気まぐれに落とされていた。また、首を動かすと痛みが起こりやすいように思えた。バイト先の開店準備の時にも唐突に針は落とされた。

バイト中、この前少し感じた懐かしの胸苦しさ、胸の辺りだけがプールの深い場所に沈み、相応の水圧を受けているような感覚。それはさらに深くまで沈んでいき、目の前の人間との間を不安や恐怖、眩暈や激しくなる心拍が遮るまでになった。オーダーをとるのもやっとだった。もう限界だと思った。店長に息も絶え絶えに事情を話して裏で休んだ。こういう状況になって誰にも心配されないというのは、一人の時にこうなったときと高速バスで苦しくなったときくらいのものだ。カラオケでこうなったときでさえ、店員さんが治るまで付き添ってくれたり、後にはココアをサービスしてくれたりした。忙しかったし、人がいなかったし、仕方のないことなのかな。そう思っておこう。でも、凄く寒い場所にいると思った。独りよりも寒い場所だ。震えが止まらなかったし、手は冷え切ったままだった。結局治りきらないまま仕事に戻った。

帰り際、僕の代わりにヘルプで入ることになった人が「明日一緒に頑張ろうな」と言ってくれた。

僕は嫌われるには足りなさすぎる。耐えられない。早く世界を作らなければ。僕だけの、とびっきり美しい世界を。尚且つできればみんな僕のことを愛してほしいしそれを言葉や行動で仄めかしてほしい。そうなったように思い込むことにする。自由に生きられる世界に行くんだ。

知識が足りないから漠然としている部分は確かにある。とにかくやろう。やりながら勉強しよう。

12/16

昨日逃げ帰ったことの鈍い澱に押し潰されて横になっているとふと、この環境は全部自分の心の弱さが作り出したものなのだと思い出した。そして身を起こし、昨日逃げた場所へと向かうことにした。こんな当たり前のことも忘れて、生得的な環境を憎んだり今の状況のせいにしたりしている間に、随分と矮小な人間に戻ってしまったな。

交通費は勉強代だと思うことにしたり、お金も環境の一部であって心次第でどうにでもなると思ったりした。何かにつけて理由が必要な人間なのだ。

晴れているのに雨が降っていた。駅の前で虹を見た。今の考えやとった行動を、何も間違っていないのだと、肯定されたような気がした。駅のホームから見ると、晴れているのに雨が降っているという光景はより異質なものにみえた。

電車の窓から見える海や夕暮れの雲は、イラストのように現実感が希薄で、とても綺麗だった。これだけで往復の交通費の元は取れたな、と吝嗇な僕が理由を勘定した。この景色で曲を作ろうと思った。既に頭の中でイントロが明瞭に鳴っていた。

乗り換えの途中で、昨日逃げ去った場所、つまり学校と学校のある街への道程に踏み出したからといって、心が弱くないことにはならないんじゃないかとふと思った。僕が家を出たのは、何もしたくないからかもしれない。心を強く持っていたなら家にいたってできることはあった。寧ろ家にいた方がずっとたくさんのことをじっくりとできた。それなのに学校に行くことを選んだのはどういうわけなのか。少しだけ母親への申し訳なさも思考を掠めていた。しかしそれを捕らえて祭り上げたのは何もしたくない自分なのではないか。わからない。でも、何もしたくないんだろうな。今迄何一つとして命を懸けてこなかったのだから。何もしたくないという現状に慣れきって愛着さえ持っているんだろう。でも抜け出さないと。それが心の強さにも繋がるし、環境にも関わってくる。

学校に行ったのは正解だったのかもしれないと思った。自分が真剣に作ったものに関しては、自分も真剣に相手に改善点を求められるし、それでいて愛着も損なわないでいられるみたいだ。そんな自分に半ば驚いてさえいた。頑張ろうと思った。

家に帰ってから、特に作業はしなかった。でも成長できている。昨日の自分よりも確実に。

 

感性偏重の自分や技巧的な自分、詩をかく自分、ギターを練習する自分、バイトに集中する自分、本を読む自分、何もしない自分、作曲する自分、人と相対する自分。いろんな自分がいる。確かに、確実に。後はスイッチングの問題だ。切り替えを上手く、できるだけ完璧にする。