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決意は何度も何度も微睡んで、温い泥に飲み込まれてしまう。母親を突き放している僕にとって、包み込むものは総じて忌むべきものであり、忌むべきものにしか包まれることがない。寒い場所に放り出され(或いは暖かい場所から自ら身をひいて)、抱擁の陰の側面である惰性の泥に飲み込まれて眠くなるだけ。安心も愛もここにはない。あっても今の僕は持て余してしまうだろう。

 

今、周りの環境を作り出しているのは僕の心なのだ。「会話が出来ない」と開き直るから会話が出来ない。「不器用」というしるしをつけているから不器用になる。そこに暗い意味を与えれば世界もその意味付け通りに機能する。バイトやそこでの人間関係の辛さ、思い通りに動かない心や身体も、生きづらさのメタファーであり、生きづらくありたいと何処かで思う自分の弱さが拵えた環境なのだ。ただやりたいことやなりないもの、美しいものに思いを馳せていればいいし、その通りに行動してればいい。後はなんとかなる。

 

自分の話を誰かにすることは自分へ呪いをかけることなのだ。だから変わりたい時には現状の話はしない。してもポジティブに言い換えること。

 

悪口でしか繋がれないなら仲良くなれなくていい。仲良くしていたい人とは美しい繋がりを持ちたい。