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昨日逃げ帰ったことの鈍い澱に押し潰されて横になっているとふと、この環境は全部自分の心の弱さが作り出したものなのだと思い出した。そして身を起こし、昨日逃げた場所へと向かうことにした。こんな当たり前のことも忘れて、生得的な環境を憎んだり今の状況のせいにしたりしている間に、随分と矮小な人間に戻ってしまったな。

交通費は勉強代だと思うことにしたり、お金も環境の一部であって心次第でどうにでもなると思ったりした。何かにつけて理由が必要な人間なのだ。

晴れているのに雨が降っていた。駅の前で虹を見た。今の考えやとった行動を、何も間違っていないのだと、肯定されたような気がした。駅のホームから見ると、晴れているのに雨が降っているという光景はより異質なものにみえた。

電車の窓から見える海や夕暮れの雲は、イラストのように現実感が希薄で、とても綺麗だった。これだけで往復の交通費の元は取れたな、と吝嗇な僕が理由を勘定した。この景色で曲を作ろうと思った。既に頭の中でイントロが明瞭に鳴っていた。

乗り換えの途中で、昨日逃げ去った場所、つまり学校と学校のある街への道程に踏み出したからといって、心が弱くないことにはならないんじゃないかとふと思った。僕が家を出たのは、何もしたくないからかもしれない。心を強く持っていたなら家にいたってできることはあった。寧ろ家にいた方がずっとたくさんのことをじっくりとできた。それなのに学校に行くことを選んだのはどういうわけなのか。少しだけ母親への申し訳なさも思考を掠めていた。しかしそれを捕らえて祭り上げたのは何もしたくない自分なのではないか。わからない。でも、何もしたくないんだろうな。今迄何一つとして命を懸けてこなかったのだから。何もしたくないという現状に慣れきって愛着さえ持っているんだろう。でも抜け出さないと。それが心の強さにも繋がるし、環境にも関わってくる。

学校に行ったのは正解だったのかもしれないと思った。自分が真剣に作ったものに関しては、自分も真剣に相手に改善点を求められるし、それでいて愛着も損なわないでいられるみたいだ。そんな自分に半ば驚いてさえいた。頑張ろうと思った。

家に帰ってから、特に作業はしなかった。でも成長できている。昨日の自分よりも確実に。

 

感性偏重の自分や技巧的な自分、詩をかく自分、ギターを練習する自分、バイトに集中する自分、本を読む自分、何もしない自分、作曲する自分、人と相対する自分。いろんな自分がいる。確かに、確実に。後はスイッチングの問題だ。切り替えを上手く、できるだけ完璧にする。